学生時代は学生寮に住んでいて、そこには主に関西圏から来た人間が多かったが、いろんな奴が起居していた。ある日、後輩から誘われ、隣の県まで自転車で旅に出ることとなった。自分は自転車での旅が初めてであったため、不測の事態に備えて道中の旅行計画を立てたり、自転車部の友人に小型テントを借りたりと、着々と準備を進めていった。こうして旅の当日がやってきた。
学生寮を出発し自転車を漕いでいると、自分が当時いた県はとても田舎だったので、ペダルを漕いだ回数に比例して人工物がなくなっていき、夜になってK峠というところに差し掛かった。そこでテントを張り野宿をすることとなった。私はテントがあるとはいえ、キャンプ場以外の場所で野宿をするのが初めてだったため、風の音が犬の遠吠えに聞こえたり、落ち葉が転がる音が野犬の足音に聞こえたりなどして、普段、普通に生活していては味わえないような原始的な恐怖感を味わった。それは普段、スイッチがオフになっている感情であり、自分にもこんな感情があったのかと改めて感嘆したりもした。
翌日目が覚め、テントをたたみ、改めて自転車を漕ぎ、行程を進めていった。さらに山深い地域に進入していき、景色も変わっていった。秋なので、ススキがたなびく地域だったり、白川郷でしか見れなそうな朽ち果てた藁葺き屋根の家屋だったり、燃えるような紅葉を傍目に見ながら重いペダルを漕ぐ。まるで行程のしんどさに比例して景色が素晴らしいものになっていくかのようだった。
途中、村人たちがやっているフリーマーケットでそれはそれは美味しいおにぎりとお茶を買ったり、食堂に立ち寄ったが、まだ開店時間前なのに店主が店を開けてくれたり他人との接触もそれなりにあった。そうこうしているうちに最高標高地点を通過し、残りの行程は下り坂のみとなった。
当然、下りは重力に任せればいいので、調子に乗ってスピードを出しすぎてしまった。ふとした拍子にブレーキングに失敗し、タイヤがロックされたまま滑ってしまい、その状態で数メートル滑り続け、当然のことながらタイヤがパンクしリムまでが数ミリほど削れてしまった。まだ山中で、街までの残りの距離がかなりあるにも関わらず、自転車が使用不能となってしまったが、そのまま無理やりペダルを漕ぎ、車体をガタガタ言わせながら走り続けた。幸いなことに、1、2時間しないうちにまた小さな集落に辿り着き、自動車修理工場のようなところでパンクを直してもらった。
その夜はまたO峠というところの近くの橋梁のそばでテントを展開し、一夜を過ごすことになった。翌朝、日の出とともに、トイレに行きたくなり目が覚めた。テントを出ると標高が高いせいか、うっすらと雪を被っており、トイレに行きたくなければ二度と目が覚めなかったのではないかというぐらいとても寒かった。
さらに帰路を漕いでいると、あと学生寮に帰り着くまで数キロというところで、K湖にぶつかった。地図を見て事前に行程を確認したにも関わらず実際の道路は行き止まりで、湖の反対側に学生寮が見えるにも関わらず、疲れた体を引きずり、池の周りをぐるっと大きく遠回りをすることになった。そうこうしているうちにようやくスタート地点でありゴールでもある学生寮に到達した。
自分の部屋に着いてから、とても不思議なことが起きた。それは全ての人工物が輝いてオーラが見えたことだ。例えばドアノブなどは「なんて握りやすく、ドアを開けやすい位置についているんだろう!」とか「椅子ってなんて座りやすい形にできているんだろう!」などとくだらないことで、一緒に旅をした同級生と思い出話も含めて語り合ったりもした。しかし、この輝きは一瞬で、数時間もすればやがて消えてしまうことになる。しかし、この感じを味わうために自分は自転車で過酷な旅行をしたのだということを強く実感した。