UA232便不時着事故の凄さについて

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1989年にアメリカで起こったユナイテッド航空232便(以下、UA232便)の事故を知っているだろうか?YouTubeで動画を見た人もいるかもしれないが、一見するとよくある航空機の爆発炎上事故に見える。

しかし、この事故が凄いのは、飛行中に全ての油圧を失い、操縦がほとんどできない状況に陥ったにも関わらず、パイロットたちが機体を何度も旋回させ、滑走路の端まで誘導したということだ。一体、全ての舵が効かない状態でどうやって機体をコントロールしたのか?

その答えは、「エンジン・ディファレンシャル」と呼ばれる、機体のコントロール方法にあると言われている。これは、左右のエンジンの出力を別々に操作することで、エンジンの推力差を生み出し、それによって機体のピッチとバンクのコントロールを行ったというものだ。右のエンジンの出力を上げれば機体は左へ、左のエンジンの出力を上げれば右へ曲がる。これは、非常に繊細な出力調整を絶え間なく行う、高度な技術を要する操縦方法だ。

昭和生まれの人なら気づくかもしれないが、この事故は1985年に起きたJAL123便の墜落事故と、操縦不能に陥った状況(油圧の全損)がほぼ同じだった。しかし、UA232便には、なんとJAL123便の事故を受けて、エンジンの推力差で生還する方法を研究していたパイロットが、たまたま非番で乗り合わせていたのだ。彼の名はデニス・E・フィッチ。彼はコックピットで、機長のアルフレッド・C・ヘインズ、副操縦士のウィリアム・R・レコックと共に、前例のない操縦に挑んだ。

詳しくはWikipediaの記事が詳しいが、全員が亡くなってもおかしくない状況で、乗員乗客296名のうち、7割にあたる215名が生還したのだから驚きだ。パイロットたちはその後、英雄と称えられたそうだ。

ちなみに、この出来事は「レスキューズ/緊急着陸UA232」という映画にもなった。しかし残念ながら、映画の中ではこの驚くべき機体のコントロールにはほとんど触れられておらず、取り上げられているのは、地上での救難活動の頑張りの様子がほとんどだった。その後、NASAで検証が進み、結果、人間による同様(エンジン・ディファレンシャル利用)の安全な着陸は不可能だと結論付けられたため、コンピューターによる制御の研究にシフトし、搭乗員に対するこの操縦方法は訓練されていないそうだ。

制御不能に陥った巨大な機体を、エンジンの推力差だけで操り、多くの命を救ったパイロットたちの技術、そして、その研究を偶然にもしていた人物が居合わせたという奇跡。UA232便の事故は、航空史に残る驚異的な出来事として、今も語り継がれている。