司馬遼太郎の本は読みやすい。一部では、やはり史実に対して司馬遼太郎が後からフィクションを付け足している部分もあるので、鵜呑みにしてはいけないという声もあるものの、それにしてもその司馬遼太郎が付け足してくれたフィクションという潤滑油のおかげで、逆に史実(ノンフィクション)の方が頭に入ってきやすいという利点があると考える。

実際、高校時代に「坂の上の雲」という全6冊の単行本を受験期に読んだところ、世界史の点数が約30点アップしたこともある。これはそれまで高校などで歴史をスポット(点)で縦の暗記していたところを、司馬遼太郎の本は舞台が日本から西洋から横断的に話をしてくれるため、学校で習った知識(点)と知識(点)を横に繋げてくれる効果があったためだと考えている。
そんなこんなで私は司馬遼太郎の本は好きで、他にも「龍馬が行く」や「花神」「功名が辻」など、折を見て司馬遼太郎の本に親しんできた。そんな中、最近読んだ本で印象に残った司馬作品を紹介してみたい。今回は表題の通り「項羽と劉邦」である。
この小説が面白いのは、一般的に、世の中の人が考えるリーダーを具現化したような有能な人物像が「項羽」であったのに対し、これまた世間の人がダメな人物と考える典型的なだらしない人物像として描かれているのが「劉邦」であった。しかし、最終的に覇権争いで勝利し、漢の高祖となったのが「劉邦」だというのが一言で言うとかなり荒いあらすじである。
ではなぜ「項羽」は失敗し、「劉邦」は成功できたのか。これがこの小説のキモであろう。この項羽と劉邦は対照的な人物で、項羽は優秀、有能、勇猛果敢と誰もが認める完成された武将であった。一方の劉邦はだらしないがどこか憎めない、魅力のある人物として描かれている。
最終的には、部下の結束力を得られ戦いに最終的に勝利したのは人間的な魅力があるとされた劉邦の方であった。残念ながら項羽の方は、垓下の戦いにおいて「四面楚歌」と言う四字熟語を残して亡くなることになる。
「項羽と劉邦」は、単なる中国の歴史という物語の範疇を超えて、リーダーシップとは何か、人間とは何かについての問いを読者に投げかけてくる。項羽と劉邦という二人の英雄の生き様は、現代社会にも十分に通用する示唆を与えてくれる。逆に、この起業やビジネスの世界でどのような応用が可能か、ここから得た学びをどのように活かしていけるかを今後考える所存である。